魔宮夫人の恐怖! 7章 カウントダウン開始

 案の定、殺されはしなかった。
 囮となって黒服たちの気を引き、逃げ続けていたイサムは、ふたたび捕えられ、自ら脱出した部屋へ再び連れ戻され、縄で拘束されていた。今度は床に直接座らされているから、石の冷たさが直接尻へ伝わってくる。
 目の前にいるのは、例の妖艶な女だった。黒いドレスに豊満な体は相変わらずだ。普通の男ならすぐに落とされてしまうことだろう。この女の名前は依然わからない。ただ、この女に下僕のように従っている黒服は、女のことをマダムと呼んでいる。
 その男は、ほかの黒服たちと同じように黒い背広を着けて黒いサングラスをかけ、黒い手袋をしているが、どうやら別格らしい。〝マダム〟は彼のことを笠口と呼んでいるから、おそらくそういう名前なのだろう。この笠口という男は、ほかの男どもとは違い、常にもっともマダムの近くにいる。おそらく、マダムからもっとも信頼を置かれているのだろう。
 マダムは相変わらず孔雀の羽の羽団扇を片手に揺らしていた。
 宝飾や冠も優雅な趣を放っているが、ここを脱出する前とは明らかに違う雰囲気を醸していた。
 目つきが、違うのだ。
 脱出する前は、優しげな、それでいて嬲るかのような視線を絶えず湛えていたが、今は違う。優しげな雰囲気はないし、嬲るというような生易しい雰囲気も感じない。マダムの目から放たれているのは、明らかに殺気だった。紫色に縁取られたその目は細められ、その視線はまるで刃物のように鋭い。
 その鋭い眼差しが、そのままイサムの顔に向けられている。
 実際に刃物を立てられているわけでもないのに、イサムは頬にちりちりとした痛みのような感覚を覚えていた。
「もう一度機会をやろう」
 マダムが低い声で言った、怒りをこらえているせいか、その声は若干震えていた。
「私のコレクションになりなさい」
 もちろんそんな命令に従うつもりはイサムにはない。しかし、断れば今度こそ命はないだろう。マダムの表情がそれを物語っている。
 とはいえ、コレクションになる、というのが実際にどういう意味なのかわからないが、承諾したらしたで、それはまた命を落とすことになりそうな予感がする。
 つまり、イサムはマダムに従っても逆らっても命はないということになる。ならば――。
「断る」
 自分の気持ちに正直になった方が少しは得というものだろう。そう判断して、イサムはきっぱりとマダムの誘いを断った。
 ぎり、と音がするようだった。実際に聞こえたわけではないが、マダムは奥歯を噛み締めたように見えた。
「貴様なぞ」
 貴様なぞ貴様なぞ――とマダムはうわ言のように繰り返す。そしてひと際大きな声で最後に言った。
「貴様なぞ、もはやコレクションとするには値しない」
 マダムの激昂に反比例して、イサムはむしろ沈着な気持ちになっていた。
「それならここから解放してくれるとでも言うのかい」
 身動きのできない状態でありながら、イサムは余裕の心持ちでそう言った。
 その通りよ――とマダムは答えた。
「解放してあげる。ここからも、そして――」
 この世からも――とマダムは言って、口角を少しあげた。微笑んだようだが、それは残忍な笑みだった。
「笠口」
 マダムはイサムの目を見据えたまま、背後にいる部下の名前を呼んだ。
「はい」
 呼ばれただけで、笠口はマダムの命令を察したらしい。
 さっきから不思議に思っていたのだが、笠口は両手に物騒なものを持っている。円柱型の黒いものが、いくつもの線で繋がれているのだ。
 もちろんその正体についてイサムは知らない。それでも、その形状から、それが爆発物であることは聞くまでもないことだった。
 笠口はそれをイサムのすぐ足下に起き、少し操作をした。
 その装置には小窓のようなものがついていて、そこに数字が表示される。数字が時間を表していることはすぐにわかった。
「三時間後にその装置が起動する。そうしたらあなたは開放されるわよ。ここからも、この世からも」
 ふふふ、とマダムは口許を羽団扇で隠す。
「せいぜい死の恐怖を味わうがいい」
 がたり。
 どこかから大きな音が聞こえた。いや、どこかから、というより、この建物全体が音を立てたといった感覚だった。実際、その音と同時にイサムは体が揺れるのを感じた。錯覚ではない。マダムと笠口もまた、その振動で少しだけよろめいたのが、その証拠だ。
「今、この館の出入口はすべて閉鎖したわ。もしその縄を切ることが出来ても、お前はもう助からない。爆発と同時に、この館もろとも死ぬのよ。今から覚悟しておくことだね」

「く――」
 くそ――と言おうとしたイサムの口を、笠口の手が塞いだ。吐き出そうとした言葉と声が、イサムの口の中で、くぐもる。
 ほどなくして笠口の手はイサムの口を離れたが、それでもイサムは自由に声を出すことは出来なかった。いや、声を出すどころか、息をすることさえままならない。
 イサムの口には、ガムテープがはられていたからだ。
「いいざまね」
 そう言い残し、マダムは笠口をともなって部屋を出ていった。

挿絵提供は、☆裟苗☆様。

 部屋の中にはイサムだけが残されている。体は縛られているのでもちろん動くことはできない。いくらもがいても縄が緩む気配はまったくなかった。
 その間にも、爆発物に表示されている時間は容赦なく時を刻んでいた。時間は百分の一秒台まで表示されているが、その百分の一秒台の数字が恐ろしい早さで残りの時間を削っていく。
 ――まだか、晴彦。
 イサムは奥歯を噛み締めた。
 残りは、二時間五十八分だ。