巨大ロボット建造計画 3:推理。そして臨時ニュース

 ――まあ、あれだけはっきり見たのだし。
 再現が明確のは当然か、と晴彦は思った。
 晴彦たちのバイト先、武智探偵事務所の応接室である。部屋の真ん中に置かれている机の上には一枚の絵が置いてあり、晴彦を含む三人は、机を囲むような形でその絵を覗き込んでいた。
 机の周りには、その辺に沿うように四つソファが置かれているが、机を囲む三人は誰もソファに腰をおろしていない。立ったまま、机の上の絵を眺めている。
 ――それにしても上手いな。
 絵を眺めながら、晴彦はそんな感想を噛み締めていた。
 絵は、人物画だった。詩織を誘拐した、あの大男の胸から上部分が描かれている。
 詩織の誘拐に居合わせた晴彦たちは、さっそく警察に連絡をした。正確に言うと、警察という組織に連絡したのではない。警察に所属する個人に連絡を取ったのだ。
 その個人の名前は咲間蒼生。
 警視庁公安部警視である。その肩書きだけを聞くと厳つい印象があるが、実際の彼には、まったくそんな雰囲気はない。
 青いスーツをぴしりと着こなした細身の青年である。髪は茶色でふわふわとしており、どことなく天使を思わせる。顔つきも幼いから若く見えるが、警視という立場を考えると、そこそこの年齢は重ねているかもしれない。実際の年齢はわからないが、見た目としては二十代前半と言っても充分に通用する。
「今さら聞くのもなんだけど」
 咲間は、そのふわふわの茶髪を片手で撫でながら気まずそうに言った。
「本当にこんな奴がいたのかい」
 机の上の絵を眺めるその顔は、疑っているというよりは呆れているといった表情だ。
「いたの!」
 きっぱりとそう断言したのは梨奈だった。こういう時の、梨奈の釣り目には迫力がある。
「でも――」
 咲間はなんとなく納得いかないと言った表情で、机の上の絵を眺めている。
 晴彦も絵を見る。咲間の気持ちは、分からないではない。
 絵に描かれている人物の風貌といえば、もう人間とは思えないものだからだ。
 額から突き出ている二本のボルト。緑色の肌。頑強な体躯。
 晴彦も、もしこの絵を見せられて、本当にこういう人物がいたと言われたら、まず信じないだろう。でも晴彦は実際に見ているのだ。気持ちの上ではいまだ信じられていないが、見たのだから仕方がない。実在するのだ、この人物は。
「本当にこんな見た目をしていたのかい」
 と咲間は梨奈に問いかける。
「本当にこういう人だったんです! ねえ、晴彦」
 梨奈に同意を求められて、晴彦も梨奈を援護した。
「本当なんですよ。この絵は、よく描けていると思いますよ」
 犯人捜索のために、梨奈が急遽仕上げた似顔絵だ。細かい部分もそっくりに描かれている。お世辞ではなく、本心から上手いと思う。
「でもねえ」
 咲間は人差し指でこめかみを掻いた。
「これだけ特徴的な見た目だから、見たら絶対に忘れないだろうし、目につかないっていうことはまずないと思うんだけどなあ」
 それは咲間の言う通りだと晴彦も思う。
 晴彦たちは、ついさっき、この事務所に集まったところである。時刻は午前十一時。真夏の、もっとも暑い時間帯だ。
 これまでの間、晴彦たちはずっと街中を歩きまわっていた。この異形の人物の目撃情報を集めるためだ。
 昨日も、詩織が誘拐されてから仲間で手分けをして捜索してみたが、一向にその目撃情報が得られなかった。晴彦も梨奈も、眠らずに捜索をしていたのだが、この絵の人物を見たという人には、まだ一度も会っていない。目撃者が嘘をついている、という可能性も考えたが、街じゅうの人間が口裏を合わせるような大胆なことはないだろうから、きっと本当に見かけていないのだろう。だから彼が今どこにいるのか、まったく分からないのだ。だから詩織の居場所も分からない。救出することもできない。
「これだけ目撃情報の少ない犯人というのも珍しいよ。しかも、この容貌で」
 咲間は溜息をつきながら腕組みをした。
 そう、これだけ大きな特徴を持った人物の目撃談にしては、あまりにも少なすぎるのだ。いや、少ないというよりも、〝ない〟のだ。不自然すぎる情報の少なさに、晴彦もお手上げだった。ふう、と息をつく。
 地元の商店街を紹介するテレビ番組の明るい声と音だけが、虚しく室内に満ちる。
「そうだ」
 ふと思いついて、晴彦は声をあげた
「どうしたんだい、晴彦くん」
 咲間が問いかける。晴彦はちょっと待って――と言い残すと、駆け足で隣室の事務所に駆け込んでいき、すぐに大きな紙を持って戻ってきた。
「何それ」
「町内全体が乗っている地図だよ」
 梨奈の質問に答えながら、晴彦はその大きめの地図を机の上に広げた。あんまり大きいから、梨奈の書いた誘拐犯の似顔絵は地図の下に隠れてしまった。
「まず、みんなが聞き込みをした場所をこの地図の上に全部書き記してほしい」
「聞き込みをしたって――目撃情報はないんだよ」
 梨奈の指摘に、
「大丈夫。良いから書き記してみて」
 と晴彦は、強引に梨奈と咲間に赤いペンを渡した。
 ふたりは晴彦の意図をつかみかねているようだが、とりあえず晴彦の言う通り、自分が聞き込みをやった道路を赤く塗り始めた。晴彦も、自分が聞き込みを行った場所を赤く塗りつぶす。
 そう大変な作業ではないから、塗り終わるまでに十分もかからなかった。
 晴彦たちの通う青葉総合大学周辺の道は、ほとんど赤く染まってしまった。
「これで、どうするの」
 咲間の質問に、
「見えたね」
 と晴彦は行った。
「見えた?- 何が」
 梨奈にはまだ理解できていないらしい。
「よく聞いて」
 晴彦は両手を机の上について、上目遣いに梨奈と咲間の顔を交互に眺ながらゆっくりと語りはじめた。

「いい?- 今赤く塗ってもらったところ」
 晴彦はそう言いながら、赤く染まった道路をぐるりと指で囲む。
「ここでは目撃情報は得られなかった場所だ」
 梨奈も咲間も、とりあえずは口を挟もうとはしていない様子だ。晴彦は続けた。
「まず前提の話からすると――」
 晴彦は人差し指を立ててさらに説明を加える。
「まずひとつとして、あの見た目からして、見たら忘れることはまずない。そして見逃すということもおそらくありえない。そしてふたつ目として、彼は詩織を誘拐する時に自動車を使った。これらから推理するに」
 晴彦は地図に目を落とす。
「ひとつめの前提、見たら忘れることはない、そして見逃すはずはない。つまり、聞き込みをしてもらったところ――この赤く塗った部分ね――この場所では単に目撃情報がなかったのではなく、彼は〝実際にここを通らなかった〟のではないかと考えられる」
「なるほど」
「ああ、そっか」
 梨奈と咲間は同時に頷いた。理解したらしい。晴彦はそれを受けて、さらに説明を続ける。
「そしてふたつ目の前提。あの男は自動車を使った。それから考えられることは、私道や一方通行の道、細くて通りにくい道も使わなかったことが考えられる。だから、このへんの道もきっと使ってないだろう」
 そう言って晴彦は、今度は緑色のペンで、それらの道を塗りつぶした。
「ほら、こうしてみると、詩織が誘拐された地点から、どの道を使ったのかがだいぶ絞られてくるだろ」
「晴彦すごい!」
 梨奈は胸の前で両手を合わせた。顔が輝く。
「確かにこうして見ると、あの男がどの道を使ったのかが見えてきそうだ」
「さすがだね」
 と咲間も感心している。しかし直後に、
「でもね、晴彦くん」
 その幼い顔立ちを顰めさせた。
「そうすると妙なんだよ」
 咲間はその長身をかがめて、地図を指で指しながら説明を始める。
「ほら、今、赤と青に塗りつぶした道を排除するとこの一本道しか空いてない。その誘拐犯はここを通ったことになるでしょ。そうすると――」
 咲間は、人差し指を地図の上で滑らせ、あの巨漢が通ったであろう道をなぞっていく。その道の行き先には――。
「河原しかないんだ」
 そう言って咲間は指を止めた。確かにそうだった。丹念に地図を眺めてみるが、横にそれる道はない。その道を使ったなら河原に出るしかないようだ。
「この河原は石ころだらけで、とくに何かがあるわけじゃない。こんなところに誘拐犯がいるかな」
 そう言われると自信がなくなる。自分の推理は間違っていたのだろうか。ほかに何か情報がないかと考えていたら、
「そういえば――」
 ふと晴彦は思い出した。
「イサムはどうしたんだ。なんであいつはいないんだ」
「ああ」
 梨奈が力のない声を出して額を指で押さえた。
「イサムくんはちょっと用があるとか言って、どこかへ行ったみたいだよ」
「どこかって」
「分からないけど、急がないといけないとか言ってたよ」
「急がないといけないって」
詩織を救出する以上に急ぐ必要のある用事なんて、今はないだろうと思う。
「この一大事に、何やってんだ」
 と晴彦はぼやいた。その時だった。

「番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えします」

 急にテレビの画面が切り替わった。地元の商店街を取りあげていた明るい雰囲気はなくなり、緊張と喧騒が画面からは溢れている。真ん中にアナウンサーの男性の座っているのが映ってはいるものの、その背後や周囲から、ざわつきが聞こえる。
 晴彦も、そして梨奈も咲間も、その尋常でない雰囲気に、反射的にテレビの画面へ顔を向けた。アナウンサーが、やや大きめな、でも落ち着いた声で報道を伝える。
「お伝えします。つい先ほど、第三国際銀行に強盗が入りました」
 ――強盗?-
 妙だな、と晴彦は思った。
 銀行強盗は確かに大事件だが、災害や戦争とは違う。番組を中断してまで放送するものだろうか、という疑問を感じたからだ。それでも、画面から伝わってくるその切迫した雰囲気に、晴彦は気を取られて、反らせることができなかった。
 アナウンサーはさらに続ける。
「繰り返しお伝えします。つい先ほど、第三国際銀行に強盗が入りました。犯人は巨大な機械で地中から第三国際銀行の床下から潜入し――あ」
 アナウンサーの流暢な口調が途切れる。どうやら、なにか新しい情報が入ったらしい。画面の右下あたりから、スタッフと思しき誰かが話しかけている。アナウンサーはカメラから視線を反らせてそれを聞き、そしてまた視線をカメラに戻してこう言った。
「現場と中継が繋がっているようです。画面を切り替えまして、現場から中継をさせていただきます。藤井さん、お願いします」
 現場にいるらしい別のアナウンサーの名前を呼ぶ。しかし、すぐには画面は切り替わらなかった。スタジオ内の喧騒が、画面には映し出されている。
 それにしても、地下から襲撃するというのは前代未聞だ。単なる強盗とはいえ、これならば番組を中断してまで報道するくらいはしてもおかしくないかもしれない。そう晴彦が思っていると、
「どうしよう」
 力ない声が晴彦の隣から聞こえてきた。そちらへ視線を移す。
 梨奈が泣きそうな目で、顔のした半分を覆っている。
「どうした、梨奈」
「だって第三国際銀行って」
「あ」
 ――そういえば。
 思い出した。梨奈の友だちだという女性が、第三国際銀行には勤めているのだった。確か、安藤茜という名前だっただろうか。梨奈は、その友だちを心配しているのだろう。
「もう少し様子を見よう。きっと大丈夫なはずだ。犯人だって、人を傷つけてみずからの罪を重くするようなことは望んでいないだろうからね」
 そっと梨奈の背中をなでる。その背中は、いくらか震えていた。梨奈は、こくりと首を前へ傾げた。動揺はしているものの、一応は晴彦の言葉に納得したのだろう。

 梨奈はふたたびテレビ画面に目を向けた。晴彦もテレビを見つめる。
 やがて、現場と思われる第三国際銀行が映し出された。大勢の野次馬がどよめく中、アナウンサーがカメラに向かって話している。
 手ブレの激しいカメラに向かって、アナウンサーは言う。
「お伝えします。こちらが強盗の被害にあった第三国際銀行です。現在、警察官が銀行を包囲していますが、犯人が建物内で人質をとっているらしく、手を出すことができずにいる模様です。そのため、建物内での様子は見ることができません。しかし先ほど、防犯カメラに映された犯行時の様子が公開されました。それをご覧ください」
 そして、また画面が切り替わる。
 第三国際銀行内の、受付の様子が、多少荒い映像で映し出された。粛々と業務を行う銀行員と、受付で何やらやり取りをしている客の姿が写っている。音は小さくてよくは聞こえない。銀行へ行けば、当たり前に目にする光景だ。
 その当たり前の光景の中に、いきなりひとりの大男が飛び込んできた。その男は銀行の出入口ではなく、奥から現れた。
 地下から銀行を襲撃したというから、穴の空いた床の下から建物内に侵入したのだろう。だから奥から現れたのに違いない。
「あッ!」
 その男の姿を見て、梨奈と晴彦は同時に声をあげた。見覚えがあったからだ。いや、見覚えがあるなどというものではない。頭から二本のボルトが突き出ているその異形の姿は、忘れようにも忘れられるものではない。彼こそ、詩織を誘拐した犯人だ。
「この男ですよ、咲間さん!」
 画面を指さして、晴彦は咲間に訴えた。
 普段は冷静な咲間も、画面に映っているその巨漢を眺めて驚いている様子だ。首を前に突き出して食い入るように画面を見つめている。
「そのようだね。信じられない容貌だなあ」
「ねえ、それより晴彦」
「ん?-」
 晴彦は梨奈を見る。
 梨奈は画面を指さして、
「あれ、もしかして」
 と呟くように言った。異形の誘拐犯よりも目を引くものがあろうとは思わなかったが、晴彦は梨奈の指さす方向を眺めた。
 画面の右下。そこに――。
「あ!」
 晴彦もそれを見て思わず声をあげてしまった。咲間も画面を見ながら、おお、と感嘆の声をあげている。
 ――なんてこった。
 晴彦は頭を抱えた。