巨大ロボット建造計画 2:リーデルシュタイン城

 激しく雨の降る音がする。そして、その雨音を遮るように、時おり雷鳴が轟く。
 雷雨の音に包まれた悪の居城。その室内にはひとりの少女が監禁されていた。青い髪を黄色いリボンでおさげにまとめた少女だ。縁のない大きな眼鏡をかけているその顔からは知性が感じられる。
 不破詩織。
 それが彼女の名前だった。
 少女――不破詩織――は、室内の中心に座り込んでいた。床に直接尻を置き、両足を曲げ、その膝を両腕で抱きしめるようにしている。
 日本きっての優秀な科学者だと聞いていたから、はじめは男性だとばかり思っていた。それに女性だとしても、もっと年齢を重ねているのかと思っていたが、詩織のその容姿は、私の予想を大きく裏切った。
 眼鏡の映える青髪の少女は、顔に純朴な表情を浮かべ、一見科学とは無関係な印象を受ける。まるでココナラで活躍する一流のイラストレーターが丹念に描き上げたかのような美少女だった。
 ――この少女が科学の申し子か。
 その疑念は、彼女を実際に目にした今、さらに深まるばかりだった。
 誘拐されて衝撃を受けているのか、それとも不安を感じているのか、膝を抱えて丸くなっている詩織からは、生気のようなものが感じられない。
 轟音が響いた。雷の音だ。雨脚がさらに強まったのが、音から想像できる。
「ふっふっふっふっふ」
 笑い声。しわがれた老人の声だ。しかし、その声には、長い人生の中で培われたのであろう威厳が満ちている。
 やがて、その老人が姿を現した。
 外套の裾が翻るのがまず見えた。裏地の色が赤、表地の色が黒だ。
 つかつかと靴音を響かせながら、続いて、外套を纏うその本体が部屋の中に入ってくる。
 白いタキシード姿の老人だった。張りを喪った頬がたるみを帯びて、その凶悪な面相に拍車をかけている。白い眉は吊り上がり、長く伸ばされた白い髪は室内の僅かな空気の動きにも反応してひらひらと揺れる。
 ディートフリート・リーデルシュタイン。
 それがこの老人の名である。老いてなお世界征服という野望を抱くマッドサイエンティストである。
 リーデルは白い長髪と赤と黒の外套を翻しながら、部屋の真ん中で丸くなっている、小柄な科学少女の前に立った。
「ようこそ、科学の申し子たる少女、不破詩織。我が居城へ」
 片方の頬を釣り上げて残忍な笑みを浮かべながら、リーデルは言った。
 ごろごろ、と雷鳴が轟く。
 詩織は膝を抱いた姿勢のまま顔をあげ、リーデルの悪意に満ちた顔を視線で射る。
「私の名前はご存知かな」
「もちろん、知っているのです」
 悪魔のような表情を浮かべるリーデルの質問に、詩織は決然としてそう答えた。
 ふふふ、とリーデルは笑う。
「やはり若いとはいえ、さすが科学に身を捧げた人間だけのことはある。科学の世界で私の名を知らないものはないからな」
 リーデルは片腕を振りあげた。外套がふわりと丸く舞い上がる。
「そう、私の名前は――」
「石■蓮司なのですね」
「違ああああうッ」
 リーデルはたるんだ頬を震わせて絶叫した。片手に持っている杖を、かつ、と床に突きつける。
「じゃあ、天本■世なのですか」
「それも違う」
「違うのですか」
 詩織は、眼鏡の奥でその丸い瞳をぱちぱちと瞬かせる。
「だって、私はそういう格好で石橋■司や天■英世が――」
「だから違うと言っているだろうがッ」
「確か、死神■士とかいう名前で――」
「それ以上言うなあああッ」
 立て続けに声を張りあげたリーデルは、すでに息を切らせている。
「いいか娘」
 リーデルは片目を引き攣らせながら、詩織の丸い童顔を睨みつける。
「この世には著作権とかいろんな権利があってだな、無闇にほかの作品の登場人物だとか実在する人間の名前をあげるのは極めて危険なのだぞ」
「なんの話をしているのですか」
「とにかく」
 ごふ、とリーデルは苦しそうに痰をきった。
「私の名前は、その石橋ナントカではないし、ナントカ英世でもない。死神どうとかでもない。私の名前は――」
 ごろごろと雷鳴が響く。


「ディートフリート・リーデルシュタインだ」

 その語尾に被さるかのように、ひと際大きな雷鳴が轟いた。
 ごろごろ。ごろごろ。ごろごろ。
 ごろごろ。ごろごろ。
 ごろごろ――かち。
 音が途切れた。
「あ、すみませんでゲス」
 部屋の隅に、こちらへ背中を向けて蹲っていた大男が、首だけ振り向いてこくりと頭を下げた。
「何をやっておる、バルナバス」
 リーデルは、男を叱りつけた。
「すみませんでゲス。どうもテープの調子が悪くなっているようでゲス」
 バルナバス田中。
 それが、この大男の名前である。その巨体を包む黒いスーツと、額から二本のねじが飛び出している容貌は、見るものを圧倒させる。しかも肌が緑色をしているから、見た者はまず忘れないだろう。
 そんな巨漢だが、彼はリーデルのしもべとして仕えていた。
「名乗りと雷鳴は、悪の組織の登場場面においては欠かせない要素だろう。それを肝心なところで切らせてどうする」
「すみませんでゲス」
 外は雲ひとつない快晴だ。雷の音がなくては確かにただの自己紹介に過ぎなかったかもしれない。
 ふふふ、とリーデルは詩織に兇悪な笑みを見せる。そして言った。

「テイク・ツーだ」

「まだやるのですか」
 と詩織は言った。呆れ顔の詩織を無視して、リーデルは田中に確認する。
「まずは名乗り。そして雷鳴だ。わかったな」
「へい、でゲス」

 ※

「ふっふっふっふっふ」
 リーデルは片手に握った杖を、かつ、と音を立てて床に突きつけた。そして片手をあげ、ふわりと外套を翻した。
「私の名前は、ディートフリート・リーデルシュタインだ」

 こけこっこー。

「あ、間違えたでゲス」
 再び、田中が謝った。
「効果音を間違えたでゲス」
「もういい!」
 リーデルは頬を震わせて、巨漢の部下を叱りつけた。
「テイク・スリーいくでゲスか」
「いい!」
 リーデルは怒鳴る。
「こういう使い古された惚けは、一回が限度だ。この悪の居城において、今はやるべきことはひとつ」
 リーデルは唇を歪めて詩織を睨み、そして言った。
「それは、この娘を我らの味方に引き込むことだ」

 例えどんな手を使ってでもな――とリーデルは最後に付け加えた。
「この悪の居城において、我らに不可能なことはない。小娘ひとり仲間に加えることなど容易なことだ」
「ちょっといいのですか」
「なんだ」
「さっきから悪の居城って言っているのですが、ここって、ただの掘っ建て小屋なのです。とても居城と言えるようなものではないと思うのです」
「何をいう。ここは立派な――」
「だって、ここは河原にある資材置き場なのです」
「そんなことはない」
「ないわけないのです。入ってくる時に、表に〝河川管理事務所資材置き場〟という看板が立ててあるのを見たのです。それに、もともとここに置いてあったらしいいろんな道具が、外に移動されていたのです。つまりあなた方は、自分のものでもないこの資材置き場に勝手に入って、この小屋を勝手に使っている不法侵入者なのです」
「不法侵入ではない」
「では、なんなのですか」
「世界征服という大きな野望の、第一歩なのだ」
「それが、この小屋なのですか」
「居城だ」
「壁板はところどころ腐っているし剥がれているし、広さだってたぶん八畳くらいしかないのです」
 詩織は首を左右に捻って、部屋の広さをあらためて確認している。
「これでは、とても居城とは言えないのです。そう思わないのですか、お爺さん」
「お爺さんって言うなッ」
 リーデルは激昂した。もう威厳がない。
「私は狂気のマッドサイエンティスト、ディートフリート・リーデルシュタインだ」
「フリードディレート・・・・・・」
 詩織は人差し指を顎に当てて言い淀む。
「ディートフリート・リーデルシュタインだ」
「ディーフリーデル・・・・・・」
「ディートフリート・リーデルシュタインだ」
「フリーディルトリーデルト・・・・・・」
「ディートフリート・リーデルシュタインだ」
「デリー・・・・・・」
「違うッ」
 リーデルは、まるで石■蓮司が怒ったような顔で怒鳴り声をあげた。
「ひと文字目から間違えるとはどういうことだッ」
 もういい――とリーデルは息をつき、
「リーデルとだけ覚えておけ」
「わかったのです」
 詩織の淡白な返事がリーデルには辛そうだ。
「とにかく娘よ。貴様にはこの狂気のマッドサイエンティストの仲間となって働いてもらうぞ」
「それはおかしいのです」
「なんだと」
「だいたい〝マッドサイエンティスト〟という言葉の日本語訳が〝狂った科学者〟となるのです。だから〝狂気のマッドサイエンティスト〟と言ったら、〝狂気の狂った科学者〟ということになって、意味が重複してしまうのです。〝上を見上げる〟と言っているのと同じことなのです」
「生意気な小娘め」
 リーデルは杖を床に突き下ろす。
「とにかく貴様には、我らの味方になってもらうぞ」
「味方って、何をするというのですか」
「さっきも言ったとおりだ」
 世界征服さ――とリーデルは低い声で言った。
「そのために、まずは日本に目をつけた。世界でもダントツの経済力を持つ日本。ここを拠点にすれば、世界征服も楽に進むだろうからな」
「日本を滅ぼすというのですか」
「ふっふっふ。我が科学力を持ってすれば容易なことだ」
「日本を滅ぼしたら、お爺さんの言う経済力もなくなってしまうのです。それでも滅ぼすのですか」
「お爺さんって言うな! しかし、ふむ・・・・・・」
 リーデルは腕組みをした。
「それもそうだな。経済力がなくなっては意味がないから、滅ぼすのはやめよう。あくまで征服すのだ」
「どうやってそんなことをするのですか」
「それだ」
 リーデルはにやりと笑った。
「聞くところによると小娘、貴様は多くの発明品を開発しているようだな」
「なんで知っているのですか」
「蛇の道は蛇だ。貴様の名前は、科学の世界ではなかなか知られているのだぞ。自覚がなかったか。だから知っていて当然なのだよ。聞いたところによると――」
 そこでリーデルは、私に視線を寄越した。その合図を受けて、私はあらかじめ用意しておいた資料をリーデルに渡した。リーデルはそれを眺めながら、詩織に話しかける。
「まず、護身用光線銃RX★マモルくん。これは貴様が造ったものだな」
「そうなのです」
「光の力で敵を攻撃するというのは、なかなか実現出来ない技術だろう。それを造ったというのか」
「造ったのです。でも、攻撃用としてはまだまだなのです。みみず一匹殺すのに、六時間は光を照射しないといけないのです」
「それでも、殺せることは殺せるのだろう」
「殺せるのです。でも後から考えたら、実験に使ったみみずは、光に含まれる毒素で死んだのではなく、ただ光の熱で干からびて死んだだけなのです」
 夏に道端で干からびて死んでいるみみずと同じ状態なのです――と詩織は最後に付け加えた。目を瞑ったその顔は、なぜか得意げだ。
「では完成していないのか」
「いいえ、完成はしているのです」
「では――」
「ただ、殺傷能力はないので武器としてではなく、その熱を利用して音感湿布の代利用品として完成させているのです。だからお爺さんも腰が悪かったら使ったらいいのです」
「お爺さんっていうな! しかし、では――」
 リーデルは資料をぱらぱらとめくる。
「この、腕時計型通信機というのは」
「ああ、キューティーコミュニケーター☆愛野萌芽ちゃんなのですね。それも完成させたことはさせたのですが、片方を壊されてしまったのです。そんなことより――」
 体の小さな眼鏡っ子は、そのレンズの奥で丸い目を釣り上げた。
「私を仲間に入れて、いったい何をさせようというのですか」
「ふふふふ」
 リーデルは資料を床に捨てて、薄く光る眼差しを詩織に向ける。
「そこだ。さっきも言ったが、私はこの日本を足がかりに世界征服の野望を抱いている。そこで日本屈指の科学者である貴様に白羽の矢を立てたというわけだ」
「つまり、私の科学力を世界征服に使おうというのですね」
「その通り。そのために私は壮大な計画を立てている」
「計画?-」
「そう、その名も――」
 リーデルは勢いよく腕を広げた。ばさりと外套が膨らむ。

「巨大ロボット建造計画だ!」

「はあ」
 詩織はため息とも相槌ともつかない声をもらした。口を半開きにしているその顔は、びっくりしているというよりは呆れているといった雰囲気だ。
「それは何なのですか」
 詩織は素朴に質問する。
「聞いて驚くなよ」
 タキシード姿の老人は、外套を揺らしながらゆっくりとその場を往復し、噛んで含めるように詩織に向けて語った。

「越合金で出来た全高十五メートルの巨大ロボットを建造し、それを大暴れさせるという名目で日本政府を脅し、服従させるのだ。そうしたら自衛隊が手に入る。それも戦力に組み入れ、さらに他国を占領し、そこの土地や財産、そして日本同様にその国の軍事力も組み入れ、さらに強大化する。それを繰り返して、やがては世界に覇を唱えるのだ」
 ふはははは――とリーデルは声高に笑い声をあげた。
「あのう」
 リーデルの笑いに水を指してはいけないと感じたのか、詩織は控えめな声をあげながら小さく左手をあげた。
「なんだ」
 リーデルは詩織を睨む。
「ロボットを造るのは別にいいのですが、その、ロボットを作るのに使う〝越合金〟というのは何なのですか。ひと文字変えると、超合き――」
「それ以上言うな!」
「だいたいそのロボットの原動力は何なのですか」
「そう言うと思ったぞ。実はその越合金自体が動力源なのだ」
「どういうことなのですか」
「ロボットの装甲となる越合金は、それ自体が光了力と呼ばれる特殊なエネルギーを生み出す。その光了力こそがロボットの原動力となるのだ。つまりロボットは、自身の動力源をみずから生み出しながら動き続けるということなのだ」
 リーデルは語尾を力強く発声したが、詩織の表情はひとつも揺るがない。ますます冷静な面持ちで詩織は言う。
「その光了力というのを私は知らないのです。ただ、昔のアニメに似たような名前の架空のエネルギーが登場することは知っているのです。お爺さんの言う光了力というのをひと文字変えたものがそれなのです。その名前は、光子りょ――」
「それ以上言うな!」
 そしてお爺さんと言うな――とリーデルはさらに注意を加えた。
「とにかく、私はそれらの素材とエネルギーを使い、巨大ロボット建造計画を立てたのだ」
「その計画に、私の知恵を使おうというのですね」
「その通りだ」
 リーデルの口元がにやりと歪む。
「一応訊こうか。娘よ、協力しろ」
「お断りするのです」
 詩織はぷいと顔を横に向けた。おさげの青い髪が揺れる。
「理由を聞こうか」
 静かにたぎる溶岩のような声で、リーデルは問いかけた。
「だいたい、そんな計画には現実性がまったくないのです。よく聞くのです」
 横を向いていた詩織は、その顔を正面に戻し、膝を内側に曲げてぺたりと足全体を床に付ける。そして両手を前につき、前のめりの姿勢になってリーデルの老いた顔を睨みあげ、勢いよく言う。
「そもそも、そのロボットを仮に造るとして、いったいどこで造るというのですか。建造中に人目につかないようにするのはまず無理なのです。そしてもし人目に付いたら、そのロボットで何をするのかがバレないはずがないのです。そしてバレたら、下手をすれば国家転覆罪で死刑になるのがオチなのです。それに、第一、そんな代物を造るだけの予算がどこにあるというのですか。もし予算があるのなら、そんな大きなものを創るよりも、戦車や機関銃を造ったほうがよっぽど効率的なのです」
 ぬう、とリーデルは唸る。
「確かに貴様の言うとおりかもしれんな。だが、ロボットでなくてはならないのだ」
「なぜなのですか」
「なぜなら――」
 リーデルはひときわ大きな声で言う。

「ロボットは男の浪漫だからだ!」

 しばらく沈黙が満ちた。なんとなく、気まずい沈黙だった。夕暮れに烏の鳴くのを聞くような、そんな切ない気分になる。その沈黙を破ったのは、詩織だった。
「それに、効率云々の話を差し引いても、私はそんな計画には絶対に乗らないのです」
「なんだと」
 リーデルの瞳に殺気が宿る。その殺気から視線を反らせることなく、詩織は言った。
「科学は平和のためにこそ使われるものだからです。世界征服などという私利私欲のために科学を使うような人間に加担する気はさらさらないのです」
「貴様の科学力を私は買っているのだ。協力すれば貴様の科学者としての地位も私自らが認めよう。しかし、断るなら命はない」
 もう一度訊こう――とリーデルは言い、腰をかがめて、その悪意に満ちた顔を詩織の顔に近づけた。
「我々に協力しろ」
「断るのです」
 詩織の返事は変わらなかった。
「私は科学者として世界征服に協力するくらいなら、人間としてそれに反対して死んだ方がマシだと思っているのです」
「ふふふふ。娘よ。理想論を語るのはそのくらいにするのだな。いざ世界征服を目前にしたら、その欲望には貴様も勝てまい。考えてみろ。世界のあらゆる財産が自分のものになるのだぞ。人を裁くのも自分、世界中が生み出すすべての利益が自分のものになるのだ。それだけではない」
 リーデルは、悪魔が誘いをかけるかのような笑みをその老いた顔に浮かべた。
「年齢に関係なくお酒も飲めるし車も運転できる。おまけにエッチな動画も見放題だ」
「最後のは余計なのです」
「どうだ。少しは気持ちが変わっただろう」
「まったく変わらないのです。それに私は、車の運転なら、すでにできる年齢なのです」
「お酒はどうだ」
「嫌いなのです」
「なんだと。つまり、飲んだことがあるというのか」
「少しくらい、誰だって飲むのです」
 ぬう、とリーデルは再び唸った。
「なかなか悪どい娘だな」
「お爺さんに言われたくないのです」
「お爺さんって言うな! もう一度言おう。これが最後だ」
 協力しろ――とリーデルは凄む。詩織はそれに対して、
「お断りするのです」
 と再度断りを入れた。
「ふん」
 リーデルは不愉快そうに唇を曲げ、曲げていた腰を伸ばして詩織の丸顔を睨み下ろした。そして、
「バルナバス」
 巨漢の部下の名を呼んだ。
「この娘を縛り付けておけ。少し反省すれば、気持ちも変わるだろう」
「分かりましたでゲス」
 部屋の隅に蹲って音響機材を弄っていた異形の巨漢が、そう返事をして立ちあがった。緑色の肌をしたバルナバスは、地響きのしそうな足取りで、床に座っている詩織に歩み寄る。その手には、直径が五センチはありそうな太い縄が握られていた。
 今まで気丈にものを言っていた詩織だったが、その巨体にはさすがに危機を感じたのだろう。眼鏡をかけた童顔に、若干不安の色が浮かんだ。
 膝を立てて床を蹴り、後へ退くが、立ち上がって逃げるまでには至らない。おそらく恐怖に身が固まって動けないのだろう。
「おとなしくするでゲス」
 バルナバスは片手に持っていた縄を両手で握り、横一文字にぴしりと伸ばして見せた。そして、詩織の前にしゃがみ込み、その縄を詩織の体にかけようとする。

 そして、詩織の顔を見つめたバルナバスは、ひと言、こう言った。
「かわいい」
「え」
 詩織が素っ頓狂な声をあげた。