魔宮夫人の恐怖! 6章その1 悪魔の正体

 扉を開けると、三人の少年と少女が同時に振り向いた。
 武智探偵事務所の応接室である。
 振り向いたのは、赤い髪を自然に伸ばした少年と、青い髪をおさげにまとめた小柄な少女と、茶色の髪を長く伸ばしたすらりとした少女の三人だ。
「咲間さんッ」
 と晴彦は叫んだ。
「その子は誰なの」
 と梨奈が釣り目がちの目を瞬かせる。
「傷だらけではないですか」
 と詩織が人差し指を突きつけながら大きな声を出した。
「この子はね――」
 咲間は手を引いていた少年を自分の前に出し、
「御子柴祥真くんだよ」
 と紹介した。
「御子柴――」
 どこかで聞いたことがあるな――と晴彦は顎に手を添える。
「ああ!」
 声をあげたのは晴彦だった。
「確か誘拐事件の」
「そう」
「その子がなんでここに」
「それがね――」
 咲間は説明しようとして、言葉を止めた。ここは祥真自身に話させた方がいいだろうと思ったからだ。咲間は祥真の背中を軽く叩いて、話せるかいと小声で問いかけた。
 祥真は黙ったままこくりと頷いた。そしてひと言、
「イサムさんにここへ来るように言われたんです」
 と言った。少し気持ちも落ち着いたのだろう。その声は病院へ行く前の力のないものとは違い、しっかりとした意思のようなものが感じられるものだった。
「イサムくんを知っているのですか」
 訊いたのは詩織だった。おそらく晴彦も梨奈も、同じことを訊こうとしたのだろう。だが、詩織が一瞬早かったのだ。
 知っています――と祥真は深く頷く。
「僕が縛られているところを、イサムさんが助けてくれたんです。それで――」
 祥真の声が昂る。咲間からは祥真の背中しか見えないが、おそらく目には涙が浮いているだろうことがうかがえる。
「僕とイサムさんは、一緒に館を抜け出そうとしたんだけど、出口に見張りがたくさんいて、それで逃げられなかったから――」
 イサムさんが囮になったんです――と祥真は叫ぶように言った。言ってから、しゃくりあげながら袖で目元を拭っている。
 イサムが囮になって見張りをおびき寄せ、その間に祥真が逃げたのだろう。実際のところは分からないが、咲間はそう解釈した。
 泣いているのは、考えるまでもないことだが、きっと自分を逃がすためにイサムを犠牲にしたことへ罪悪感を持っているからだろう。
 すでに夜は更けている。もう八時にもなろうかという時間だ。応接室の中は静寂が支配していた。晴彦は赤い髪を掻いて黙っているし、梨奈は人差し指で頬をきながら、目に困惑の色を浮かべている。詩織は腕組みをして口をへの時に曲げている。
 咲間もまた、何も言えないでいた。
 ただ、祥真のしゃくりあげる声だけが、静かな室内に響いている。
「ありがとう」
 と晴彦が言った。
「え」
 祥真は、泣くのをやめて少し顔をあげた。晴彦に視線を向けているのだろう。
「ありがとう、祥真くん」
 と晴彦はもう一度言った。手を広げ、笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてくる。
 そして祥真の近くまで来ると、膝をかがめて祥真の黒髪の上に手を置いた。
「祥真くんのおかげで、イサムの居場所がわかったよ」
「そ、そうなのです!」
 後ろで詩織も賛同した。
「イサムくんは言動が読めないから、まったくどこにいるか分からなくて困っていたのです。イサムくんと一緒にいたっていうことは、祥真くんはイサムくんがどこにいるのか分かるのですね!」
 晴彦と詩織の言葉に、祥真も若干力を取り戻したのかもしれない。さっきよりも大きな声で、
「わかります」
 と答えた。
「教えて欲しいのです!」
 詩織は興奮しているのか、若干鼻息が荒い。
「詩織ちゃん、それじゃあまるで牛だよ」
 と咲間は苦笑した。
「詩織――さん」
 祥真がはっとしたような声で言った。
「私が、どうかしたのですか」
 詩織は、その眼鏡をかけた丸い顔を少し横に傾げた。
「僕、祥真っていいます! ええと、松尾です!」
「松尾?-」
 詩織は訝しげに、その赤くて丸い瞳を、くるりと上に向けた。そうしてちょっと考えた風を見せてから、
「ああッ」
 と声をあげた。
「もしかして、ハッキングの」
「そうです!」
 祥真は一歩足を踏み出す。
「まさか、こんな形で会えるとは思ってもいなかったのです!」
 詩織は駆け寄ってくると、晴彦を押しのけて祥真の小さな体を抱きしめた。
 詩織は祥真の体を抱きしめながら満面に笑みを浮かべているが、抱きしめられている方の祥真はどことなく困惑気味だ。これではどちらが年上か分からない。
「ところで、祥真くん」
 詩織に押されて横に倒れていた晴彦は、床に尻をついたまま気まずそうに尋ねた。
「はい」
 詩織に抱きしめられたまま、祥真は晴彦の方へ顔を向ける。
「その、きみをさらった相手はどんな奴だったんだい」
「それは――」
 そこでようやく詩織が祥真から離れた。相当に強く抱きしめられていたのだろう。詩織が離れた瞬間に祥真は大きく息をついた。
「男の人でした。怖い感じの」
「相手は、何人くらいいたのかな」
 優しくそう訊いたのは梨奈だった。
「それはもう、数えきれないくらい。でも、みんな男の人でした。怖い感じの。その中に、一人だけ女の人がいたのを覚えています」
「怖い感じの人か」
 とはいえ、それでは手がかりにならない。
「もう少し具体的に相手の特徴が分からないかな」
 咲間も、得意の好青年を演じながら祥真に尋ねた。
「ううん」
 と祥真は首を傾げる。
「黒い服を着ていて、なんとなく冷たい感じ」
 祥真としても一生懸命に説明しているのだろうが、それでも矢張り要領を得ない。
「そうだ」
 梨奈が声をあげた。梨奈はちょっと待ってねと断ると、いったん部屋から出て、紙とクレヨンを持って戻ってきた。
「祥真くん、こっちへ来て」
 梨奈は紙とクレヨンを机に置くと、自分はソファに座りつつ、祥真を呼んだ。祥真は呼ばれるままに梨奈の方へ行く。
 梨奈は、自分の隣りに祥真を座らせると、
「少しずつで良いから相手の特徴を話してみてくれるかな」
 と言い、クレヨンを手に取った。
 祥真はまた困り顔を作りながら、つっかえつっかえ自分が見たであろう犯人の顔を説明する。梨奈はそれを聴きながら、紙の上にクレヨンを走らせる。時には梨奈の方から、髪型や目の形などの具体的な質問をしながら、おおよそ三十分ほどをかけて絵を完成させた。

「できたァ」
 絵を描きあげた梨奈の顔を見ると、頬が少し赤くなっていた。真夏の暑い中、熱中していたから熱くなるのも無理はない。
 絵が完成するまで黙って見ていた晴彦と詩織は、完成してからもなお声をあげることはなかった。しかし咲間は違った。
 絵が描きあがる中盤ほどからだんだんと厭な予感がしてきて、完成した段になってその予感が明確になった。
 梨奈が完成させた絵には、ひとりの夫人の顔が描き出されていた。胸から上だけの絵だが、服装も少しだけ描かれている。
 黒を基調としたドレス。豊満な胸。その胸元は開放的で、谷間がいくらか覗いている。耳や首に煌めく宝石。、頭に載せられた王冠。孔雀の羽のような派手な色の羽団扇。
 ――これは。
「魔宮夫人だ」
 と咲間は思わずもらした。
「まみやふじん?-」
 晴彦と梨奈と詩織が、同時に不思議そうな視線を送ってくる。祥真も咲間の顔を見あげているが、その視線はどことなく不安げだ。誘拐されていた時のことを思い出しているのだろうか。
「魔宮夫人って、誰ですか」
 若干緊張感を帯びた声で、晴彦が問いかけてきた。
「魔宮夫人というのはね――」
 咲間はその正体を三人に語った。
 魔宮夫人――。
 本名は間宮悦子。戦前に没落した旧華族の末裔で、巨大な犯罪組織の頭目である。
 咲間にも、それ以外のことは分からない。ただ、警戒するべき相手だということと、警察関係の人間が、どうにか隙をついて逮捕に持ち込もうとしているということは確かだ。しかし、なかなか尻尾を出さないのだ。犯罪組織の頭目というのも、だから正確には推定に過ぎない。確たる証拠がないのだ。
 そのようなことを、咲間は要約して三人の探偵と祥真に説明した。
「そういえば、迷路みたいだった」
 ふと、祥真が言葉をこぼした。
「迷路」
 咲間が尋ねる。うん、と祥真は頷いた。
「僕が閉じ込められていた館は、廊下が入り組んでいて、それで出口まで行くのに苦労しました」
 なんでも、普通に歩いたのではまず出ることはないのだと祥真は語った。
「まさしく魔宮夫人だな」
 と咲間は呟いた。
 閉じ込められたら、複雑な迷路に迷わさせる。それはまさしく悪魔の支配する館――つまりは魔宮だ。
 これは危機だが、考え方を変えれば、ついに魔宮夫人を逮捕に持ち込む好機とも言える。
「館は、どんな感じだった」
 尋ねたのは晴彦だった。顔には真剣な表情が宿っている。仲間の安否がかかっているのだから無理もないだろう。
「館は――」
 石でできていました――と祥真は言った。
「白い石で、大きくて、平べったい形でした」
 祥真はしっかりしているようだが、やはり小学生だ。どことなく語彙が幼い。いろいろと質問してみたが、やはりそれ以上の情報は得られなかった。どう話させればいいのかと考えあぐねていると、
「それと、みんな黒い服を着ていました」
 と祥真は最後に言った。
「黒い服?-」
 晴彦が繰り返す。
「そうです。黒いスーツに黒いネクタイに、黒いサングラス、それと、黒い手袋でした」
「それは、みんなそういう恰好だったのかい」
 晴彦が興味深げに尋ねる。祥真はうん、と頷く。
「なるほど」
 晴彦は腕組みをして目を閉じた。そのまま黙って三十秒ほどがすぎる。やがて晴彦は、その目をひらいて、
「作戦会議」
 とひと言、力強く言った。