大咲山キャンプ場幽霊騒動 8章:監禁

 罪悪感が、ないではなかった。立ち入り禁止と書かれた看板の向こうへ行くのは、やはり許されることではないと思う。
 それでも、行かないわけにはいかないと思った。調べていないところがあったまま、事件を解決することはできませんでした、では探偵としての沽券に関わる。それに、ここの管理者である了雲自身が解決してくれと言っているのだから、今回の幽霊騒動が静まったなら了雲も許してくれるだろう。
 立入禁止なのだから、何かしら危険があるかもしれない。だから口実をつけて梨奈を安全な方向へ行かせたのだが、正解だっただろう。おそらく女の子に、この道は無理だ。
 イサムは木々の枝を腕で退け、足で草を踏み分けながら茂みを進んでいった。
 そうして十分ほど進んだ時だろうか。
 少しだけ拓けた場所へ出た。
 木々が密生していることに変わりはないが、それでも今まで歩いてきた道に比べたらまだ拓けているほうだ。
 その拓けた場所の真ん中に――。
 小屋が建っていた。いや。
 造りから見るに、これはコテージなのかもしれない。イサムたちがゆうべ一泊したコテージに、見た目が似ている。しかし、明らかに今は使われていないだろうことは一見して分かる。建物の壁を構成する丸太は苔むしているし、何より立入禁止の看板の先にあるのだから使われているはずがない。しかし足跡の続いてた先に獣道があって、その獣道をたどってきた結果、ここにたどり着いたのだ。もっとも、獣道は二手に別れていたから、梨奈へ任せた方の道に足跡の主は行ったのかもしれないが。
 それでもイサムはこちらの道を調べると言ってここまで来たのだから、目の前にあるコテージを調べないわけにはいかない。
 イサムは息切れをしていたが、大きく深呼吸をして息を整えると、コテージに向かってさらに歩みを進めた。
 コテージの入口まで行き、入口の扉を見る。木製の扉は、やはり苔むしていて緑色をいていた。少し黴くさい臭いもする。
 イサムは把手を握り、捻った。
 ゆっくりと押す。
 軋みながら、扉が開いた。
 中は暗かった。目が慣れるまでに、三秒くらいかかった気がする。
 ぼんやりと中が見えた。やはりコテージだったようだ。中には二段ベッドが二台と、卓袱台が一台、置かれていた。イサムは湿気と黴くささの満ちるコテージ内へと足を踏み入れた。なんだか床が抜けてしまいそうな気がして、自然と足取りも慎重になる。
 二台ある二段ベッドの、一台に目をやる。そこに――。
 妙なものがあった。ふやけたゴムのようなものだ。
 イサムはそれへ近寄って、そのゴムのようなものを手に取ってみた。
 それは実際、ゴムだった。両手で広げてみると、それはゴム製の覆面であることがわかった。
 頭全体を覆う造りの面で、気味の悪い顔が描かれていた。
 だらしなく開いた半開きの口からは血の筋が流れ、瞼は腫れ上がり、頭皮が剥がれている。それらは単に描かれているだけではなく、鼻や唇などの凹凸まで再現されている。全体的に白く、無表情な顔つきをしている。
 イサムは直接は見ていないが、詩織の設置したカメラが撮影した写真に写っていた幽霊の顔を思い出した。
 ――そっくりじゃないか。
 そう思った。その瞬間。
 背後に気配を感じた。
 振り返る。
 人がいた。逆光で、その姿は黒い陰にしか見えないが、つるりとした頭と、その頭の脇から長いものが伸びていることは確認できた。
「あなたは――」
 イサムが名前を言おうとするや否や。
 陰は襲いかかってきた。杖のような棒を振りあげる。イサムは横に跳んでそれをかわした。かわす前の場所に、杖が振り下ろされる。杖は床にめり込んだ。それを見計らってから、イサムは反撃に出た。陰へ向かって一気に間合いを詰める。そして隙をついて、相手の鳩尾に突きを入れようと拳を握ったのだが、そこまでが相手の計算であることを、イサムは拳を握ってから理解した。
 杖を持つ手とは逆の手に、何か別の凶器が握られていたのだ。それは青い光を放っていた。
 ――スタンガンだ。
 イサムは咄嗟に反撃を中止し、背後へ跳び退こうとした。
 が、それができなかった。
 腰に激痛が走ったのだ。治ったと思っていた腰が、実はまだ治っていなかったらしい。
「う」
 イサムは呻き声と同時に、体勢を崩してしまった。
 ――まずい。
 いまだ逆光で黒い影にしか見えない相手は、イサムのそんな一瞬を見逃さなかった。
 イサムは首元に、激しい衝撃を感じた。あまりの痛みに、喉が詰まって声をあげることさえできなかった。
 イサムは床に倒れた。意識が遠のく。
 そして意識を失う直前に、また陰を見た。
 つるりとした頭と、その脇から伸びる長いものを、イサムはあらためて確認した。
「こしゃくな餓鬼が」
 最後に聞こえたのは、そのひと言だった。